研究者としての心得 
 
 おそらくご同意できない方もいられると思いますので、個人的意見として受け取ってもらって結構です。
 この内容に関しては、大阪大学の研究室の教えや元所属した研究所の方針が多く含まれます。


以下の項目を見て、自らをチェックをし直して下さい。

以下の能力が備わっている方はそれなりの成果をあげられているはずです。

一方、もし、今まで、なぜ自分は?という方、自分自身では今まで気づいていなかったかもしれません。



研究者の素養
1、研究遂行能力
  ます知識、そして、判断力、他の人間に情報を伝える情報伝達能力が必要となる。
  一般的な例でていうと、プロセスは、

    研究テーマの選定
    
    研究を遂行
    
    まとめ

    論文発表


  ということになる。これらのプロセスを遂行する能力のことを指す。


2、オリジナリティ
  研究テーマや成果において、その分野で過去に誰も行ったことがないということである。しかし、それは、現実問題として困難で、おそらくすでに誰かがすでに何かを過去に行っている可能性が高い。基礎事項の組み合わせによる結果は新しい、等が言えるかもしれない。
 
 オリジナリティの本来の意味は、ほんの少し努力して、以前よりも少し良い結果が出た、ということではない。

 前の文章で、誰かがすでに何かを過去に行っている可能性が高いと言った。しかしながら、研究を行っているのは、所詮人間である。必ず、どこかに穴が存在する。新規の物理現象などはまた発見されずに多く存在する。


3、学際性
  昨今、学際性が求められている。例えていうと、この太陽光励起レーザーの研究に関しては、まず、電気・電子の知識が必要である。エネルギー生産に関しては、化学の知識、レーザーの伝播増幅の計算等の物理解析には計算機科学などが必要である。1つの研究テーマでも複数の分野の知識が求められている。


4、チームワーク
  個人研究では、得られる知識が少なく限られている。各研究分野を1人ですべて網羅することは現代社会において不可能と言わざるを得ない。それだけ現在では昔と違い各分野の裾野が広がっている。それを補うのが、異分野の研究者との共同研究であって、チームワークである。
  蛸壺的研究では、得られるものも限られる。


5、判断力(選択能力)
 研究を遂行していく上で、研究が進まなくなる時があるが、その場合は研究方針や理論的考察が誤っている場合が多い。ここで、判断力(選択能力)が最も重要となってくる。

 それまでの研究で得られたデータを詳細に検討し、今後の方針を決定する必要がある。

 学問とは、過去における多くのデータ実証の積み重ねである。

時々、論文や教科書にすでに記述している内容を無視して議論を行おうという人がたまにいる。しかしながら、論文は多少の査読を経ているし、過去に行われた検討や実験結果には何らかの真実が隠されている。それを無視して議論を行ってはいけない。きちんと、どこが正しくて、どこが誤りである、という議論が必然的に行わなければならない。そうでなければ、その批評は正当な批評とはなりえない。そのような先行者の意見を無視して議論を行うことは科学者(研究者)として決してやってはいけない行為である。

学問は過去の成果を包含してどんどん大きくなっていくのである。

 また、過去に例がないからといって最初から起こりえない、という議論をする人も、科学者として失格である。過去、事実がひっくり返った例は多くある。

多数決で結論を決めようとするのも、そういった理由でおかしい。真実が見過ごされる可能性が大きい。

 また、議論において、その実験結果は理論的にありえない、と主張する人がいる。しかし、理論はあくまで実験結果を説明する抽象的表現の1つの方法であって、理論がすべてであるということはありえない。どちらかというと、実験結果の方がいつも正しい、という意見に賛成している。明らかに実験方法がまずいという例も、なきにしはあらずであるが。ある程度、学問的に確立された分野なら、そういうこともあるかもしれないが、新規分野では特にそのような断定はできないはずである。

 そういう理由で我々は実験と理論を両方とも確立する、というスタイルを取っている。
感情論的な批評を行うことは、科学者として失格である。

  その人が優秀であるかの判断基準は、普通の人が見過ごしてしまう重要事項を見逃さず、チャンスとして捉え、成功につなげるかどうかである。チャンスは人生の中で決して多くない、それをどう捕まえるか?である。チャンスの神様には前髪しかない。

  経験上、ネガティブな人間は研究者には向かない。なぜなら、研究者とは、”必ずできる”、というように自分で信じなければならないからである。最初からできないと信じていたのでは、おのずと得られる結果も否定的なものにしかならない。



  身の周りが”原子力村”になっていないか?その連中に取り込まれようとしていないか?

原子力村とは?
 原子力の安全神話を前面に打ち出して組織利益を優先させ、組織のためにならない異なる意見を唱える者を外へと弾き飛ばす。もしくは、その言葉を鵜呑みにして思考停止状態に陥ることをいう。

この点では2011・3・11の原発問題でも同じ日本的構造が垣間見える。

日本人は外国人よりも物事を深く考えるという習慣がないのか?
外国メディアは日本国民が従順な性格であるためとは言うが、異なる意味で使用されている?
能力を備え情報を発信できる人間が人口の割合にして極端に少ないだけなのか?
それとも?
ここで、なぜ日本が発信する情報よりも外国メディアの情報が信用されているか、一度よく深く考えてください。
とはいえ、最近1ヶ月たってようやくバイアスがかからなくなってきたが。大本営はもう通用しない。

必ずいつかは嘘はばれる。
嘘をつく人間には同類の人間しか寄ってこないので嘘の中で生活をすることになります。
周りとあわせるために嘘をつき続けても、結局、損をすることになります。そして最後はとんでもないことに!
泥舟に乗っているようなものでまもなくその組織は沈みます。

研究がうまく進まないときはご自身の周りの人々の意見をもう1度検証し直してみては?推奨します。
低いレベルには合わせないこと。後で必ず後悔することになりますよ。



6、情報伝達
  
 自分しか知りえない情報を研究成果として手に入れ、それを世の中に知らせるということである。その情報を世の中に知らせなければ、成果として主張することはできない。

例えば、ある論文が発表された。しかしながら、我々のところではその論文に書いてある内容は以前にすでに明らかにしているが論文等は書いていない、では世の中では通用しない。

  しかも、いつなん時初めて世の中に発表された、かが重要である。いわゆるプライオリティが大切である。

  世の中には何らかの事情で研究成果が公表できない等(委託研究、軍事研究等)が存在するが、それでもプライオリティは主張できない。

  世の中に知らせる手段は、学会発表や学会専門誌への論文投稿である。
  しかも、著名な学会誌に投稿するのが望ましい。